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概要

70年の航跡

パナマ子会社を設立、外航遠洋へ昭和59年9月竣工。初のパナマ籍船LAKE SHIDAKA、鋼材運搬船として北米航路に就航。これが外航遠洋船の先駆けとなった。昭和60年2月、五大湖向け鋼材運搬船ASTRAL OCEAN竣工。姉妹船LAKE SHIDAKAと並ぶ、パナマ籍の遠洋船であった。パナマ籍船2隻、五大湖に就航近海船の慢性的な赤字体質脱却で遠洋船への進出を窺っていた昭和50年代後半、最重要荷主、新日本製鐵株式会社の薦めにより、同社製品の北米向け鋼材運搬船の紹介を受け、従来とは全く異なる船舶所有スキーム(パナマ船籍)にて事業を拡大することになった。昭和58年(1983)6月、パナマに子会社GREAT HOMES MARITIME,S.A.を設立。翌昭和59年9月には同社よりLAKE SHIDAKA(D/W28,215トン・撒積船)を用船のうえ、新和海運株式会社へ貸渡し、鋼材・穀物を主要貨物として、五大湖を含む北米航路を主航路として就航した。昭和60年(1985)6月には、同じくパナマ籍の五大湖向け鋼材運搬船ASTRAL OCEAN(D/W28,269トン)を建造した。プラザ合意で揺れる経営基盤こうして2船体制で本格的に外航へ進出しようとした矢先の昭和60年(1985)9月、プラザ合意によりドル相場が急落。当時、外航船はすべてドル収入であったため、会社は思わぬ経営危機に陥る。大分県内でもこのプラザ合意のあおりを受けて数社が倒産した。やむなく内航重視へと方向転換し、昭和61年(1986)に近海船「みやとよ」を売船。その後も近海船を順次売船して、経営合理化を図った。又、創業以来初めて船員の希望退職を募らざるを得ない非常事態となった。新規事業として洋服販売や大分市で大手ファミリーレストラン、(株)ロイヤルへの土地建物賃貸など、本業外の商売も手掛け、経営改善に全力を注いだ。24