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概要

70年の航跡

いよいよ外航の世界へ乗り出す昭和42年3月「宮武丸」「宮豊丸」竣工祝賀会昭和42年3月に竣工した近海船「宮豊丸」は、インドネシア、マレーシアなどから日本向けにラワン材を輸送。本格的な近海船第1号であった。インドネシア、パキスタンなど外航へ進出翌42年(1967)3月には、東京船舶株式会社のインドネシア、マレーシア、その他東南アジア地区よりのラワン材輸入船として、専用船「宮豊丸」(D/W6,420トン)を建造、インドネシア定期航路として就航する。記念すべき、近海船の第1号であった。当時、日本では合板産業が盛んで、南方のラワン材を丸太で輸入し、合板に加工して国内需要をまかなうだけでなく、主として米国向けに大量に輸出していた。この宮豊丸も、大分県佐伯市内にあった合板会社からの要望で建造したものである。その後、昭和45年(1970)5月には、日本郵船株式会社向けの東南アジア、インド及びパキスタン定期航路として貨物船「宮鶴丸」(D/W9,219トン)を建造し、就航。本船が遠洋船の第1号となった。昭和46年(1971)10月には、新日本製鐵株式会社大分製鐵所をはじめ、大分地区の取引先サービスの拠点として大分営業所を開設。これによって業務拡大へと弾みをつける。さらに昭和46年(1971)10月に近海船「めなど丸」(D/W6,031トン)、昭和47年(1972)3月には近海船「まるく丸」(D/W6,541トン)を建造。東京船舶株式会社へ貸渡し、インドネシア定期船として就航した。昭和49年(1974)には船舶整備公団共有船「同栄丸」(D/W3,285トン)を買船し、船腹の増強を図る。こうして、内航の充実を図る一方で、近海を手始めに、いよいよ外航の世界へ乗り出していくこととなった。18